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2007年11月 アーカイブ

2007年11月20日

クリストファー・コロンブス

って誰か知ってます!?

クリストファー・コロンブス(1451年頃 - 1506年5月20日)はイタリアのジェノヴァ出身の探検家・航海者・商人。大航海時代において最初にアメリカ海域へ到達したイタリア人である。

日本語では「クリストファー・コロンブス」の表記が定着しているが、他国では通用しないことが多い。イタリア語名はクリストーフォロ・コロンボ (Cristoforo Colombo) 、スペイン語(カスティーリャ語)名はクリストバル・コロン (Cristóbal Colón)、ラテン語ではクリストフォルス・コルンブス (Christophorus Columbus)、英語ではクリストファー・コランバス (Christopher Columbus) である。

ただし、日本語の表記はどの言語にもない発音に基いている、というわけではない。「 Christopher Colombus 」という表記は、欧米圏のネット上に多く見出される。現代語の綴りが確定するまでの間に、綴りが歴史的に変遷するのは、普通に見られることである。

1484年、ポルトガルのジョアン2世に航海のための援助を求めるが断られる。その頃ポルトガルは東回りの航路によってアフリカの喜望峰に達しており、わざわざ新しい航路を開拓しなくてもインドに着くと考えられていたからである。1486年にカスティーリャのイサベル1世とその夫フェルナンド5世(アラゴン王としてはフェルナンド2世)にも援助を願い出るが、良い返事は得られなかった。

当時のスペインではイスラム勢力が占拠するグラナダを攻めるために準備を整えており、コロンブスに対する援助ができないのも当然であった。しかし1492年にスペインはグラナダを攻め落とし、レコンキスタを完遂するとコロンブスも援助を得ることができた。なおイサベル1世自身の援助は、自身の指輪一つだけだったと言われる。

1492年8月3日、大西洋をインドを目指してパロス港を出航した。この時の編成はキャラベル船ニーニャ号とピンタ号、ナオ船のサンタ・マリア号の3隻で総乗組員数は約90人(120人という説も)。

一旦、カナリア諸島へ寄り、大航海の準備を整えた後、一気に西進した。行けども行けども海、大西洋は極端に島の少ない大洋であり、船員の間には次第に不安が募っていった。当時の最新科学では地球が球体であるということはほぼ常識となっていたが、船員の間では地球を平面とする旧来の考えも根強く残っていた。

コロンブス自身は平気な振りをしていたが、コロンブスの計算を越えて長い航海となり、コロンブスも不安を感じるようになる。10月6日には小規模な暴動が起こり、3日後には船員の不安は頂点に達し、コロンブスに迫って「あと3日で陸地が見つからなかったら引き返す」と約束させた。
(以上、ウィキペディアより引用)

ものすごく勇気のある人ですよね。
見習いたいです。

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